| 平成17年4月9日(土)放送分
「蘇る有明海ネットワーク 新たな出発」
日吉:今週はEMで九州の有明海をきれいにしようというボランティア団体が集まっている「蘇る有明海ネットワーク」の新会長になった武富孝子さんにお話を伺いました。
EMはいつ頃から取り組んでらしていたのですか?
武富:EMに取り組みはじめたのは、私は役場に勤めていたのですが、環境の係を担当しておりました。ゴミ減量化に取り組む際に、生ゴミをどうしようかということで、平成5年から始めました。その頃はボカシが近くになく、東京から取り寄せて、まず職員でやってみたところいけそうでしたので、市報を通じで市民の方モニター100人集めてスタートしたのが始まりです。
日吉:それはどちらの役場だったのでしょうか?
武富:佐賀県の鹿島市役所です。
日吉:そこで環境の取り組みがはじまったと。
武富:はい、そのあとEMボカシを作って下さる福祉作業所と話合いをしまして、地元ではできなかったので、技術指導にきていただいたりしながら、行政の窓口でボカシの取り次ぎ販売をしながら、容器の補助を行政でも取り組みました。とにかくみなさんにやってくださいと勧めていたところ、お野菜が元気なものがとれたよとか、きれいな花が咲いたよとかいう声が聞こえてきまして、二年目にまた100人のモニターを募集し、それから市役所の課長さん方も全員モニターになっていただいて、理解も深めていただきました。
日吉:すごいですね。平成5年というと、結構行政の取り組みとしては早いほうだったのではないでしょうか。そして、今は退職されたのでしょうか?
武富:はい、卒業させていただきました。退職する前に比嘉先生の講演会を行政主催でいたしまして、そのときに鹿島市の漁業組合の組合長さん始め理事の方が有明海が死にかけているよ、どうにかならないものかというお話がありました。その時に鹿島市長と漁業組合の方と私も入らしていただきまして、比嘉先生のほうからジャブジャブ作戦というのをやっているから、やってみないかというお誘いがありまして、それが平成14年だったんですね。市長さんも活性液できれいになるのであれば、漁業組合の方も熱心に言っているのですからやりましょうということで、即座に決まりました。取り組んだが秋からでしたから、活性液がうまくできなかったのですが、鹿島市内7か所、1トンタンクを設置しまして、活性液の配布にいたったのが平成14年ですね。
日吉:そうしますと、3年間行政で取り組まれたのですね。その後、有明海のネットワークの会長になってしまったということですね。
武富:そうなんです。在職中のジャブジャブ作戦に入った平成14年は会員であったのですが、前山下会長の偉大なご活躍ぶりをみておりましたから、会長ときいて、三歩ほど後ろに下がる思いなんです。ただ、行政で環境にいて、とにかく今の環境を孫の時代に手渡す努力をしようということで、すべてのゴミの収集分別から蛍光管の回収など色々取り組んでいたので、ネットワークの活動には抵抗なく入れました。その年から子どもたちに団子を作ってもらって、河川に入れるなどの取り組みをスムーズに鹿島市の方に御協力いただいて取り組んでいただいております。
日吉:私たちの感覚から言いますと、多分なのですが、こういった有明海ネットワークの会長さんが行政から出たということを大歓迎している方々が多いと思うのですが。
武富:それは聞いてみないとわからないですが。
日吉:実際このネットワークはどのくらいの方々が集まっているのですか?
武富:団体で25くらいに増えていると思います。個人会員さんも三十数名いらっしゃいますので、今後このネットワークはお互いの活動の情報交換や勉強ができたらなと思います。それぞれの地域性にできることを呼びかけ、一人でも多くの方々に取り組んでいただきたいと、ようやく近頃考えております。
日吉:これだけのひと達が集まって、ずっと取り組んでいらっしゃるというのは本当にすごいことだと思うのですが、中にいて頑張っている方々はみなさんイキイキとしていらっしゃいますよね。
武富:そうですね。みなさんと友達にもなれますし、情報交換できます。ボランティアの活動が、環境浄化につながるということが原動力になっているのだと思います。
日吉:それでは最後にこのネットワークがこれからどういった活動されていくのか、ご紹介いただけますか?
武富:この会の根本は有明海をよみがえらせるということですので、河川、海の浄化、それにともなってEM団子の投入をして、農業、漁業にも使っていただきながら、子どもたちの環境教育の中にEMをいかに生かしていけるかということで考えております。
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